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MOVIE

MINAMATA

2020年製作/115分/アメリカ

監督:アンドリュー・レヴィタス

あらすじ

1970年代初頭、ニューヨーク。

かつて雑誌「LIFE」の専属カメラマンとして尊敬され、名声を得ていたユージン・スミスは、太平洋戦争中、沖縄戦の取材で被った傷が元で現役から長らく遠ざかり、酒に溺れる生活を送っていた。

ある日、日本の富士フィルムのCM制作で通訳のアイリーンと知り合い、意気投合。アイリーンから日本の熊本にあるチッソという大企業が、工場排水を垂れ流し、多くの人が水俣病という有機水銀中毒で苦しんでいることを知らされ、取材するように頼まれる。ユージンは再び「LIFE」におもむき、水俣で起きている深刻な状況を説明し、取材させてくれるように編集長に頼み込んだ。なんとか承認させたものの、編集長から「失望だけはさせるな、自分自身も」と釘を刺され、ユージンはアイリーンと共に水俣の地に降り立った。そこはのどかな漁港の街にも関わらず、死のような静けさに支配され、そびえ立つチッソの工場と、病に苦しめられる人たちの戦いの場になっていた。

街の人々と交流しながら、写真を撮り続けるユージンであったが、チッソという巨大な権力がじわじわとユージンと患者、その家族を苦しめ、ついには何者かによって仕事場の暗室に火を付けられ、全てを失ってしまう。怒りと絶望の中、ユージンは心を決め、患者の家族にある提案をする。そしてそれは後に世界を変えるような結果を生み出すこととなった・・・。

☆☆☆

近年、変装の得意な俳優という印象しかなかったジョニー・デップであるが、今回は久々にはまり役ではなかろうか。

冒頭、Ten Years Afterの「I’d Love to Change the World」が流れた瞬間、良い映画になる予感しかしなかった。そういや、ジョニデはロック好きだったよね。それだけでも、彼の思い入れというか意気込みみたいなものが伝わってきた。

ユージン・スミスは1918年生まれのアメリカ人で、1938年には「ニューズウィーク」誌のカメラマンとなり、その後フリーのカメラマンとして「LIFE」に写真を提供し始める。太平洋戦争では沖縄で砲撃に合い、爆風による熱傷で生死の境を彷徨った。戦後はイギリス労働党の特集や、アルベルト・シュバイツァー追った記事など、弱い立場側に立つ人々や内面にフォーカスした取材に取り組んだが、「LIFE」誌とは方針が合わず、決別。1955年からは「マグナム・フォト」に加わり、写真家としての地位を築いた。

1970年に通訳のアイリーンさんと出会い、翌年結婚。すぐに水俣に移住し、75年に写真集「MINAMATA」をアイリーンさんと連名で出版している。

☆☆☆

日本の四大公害問題を扱ったハリウッド映画。この映画の制作をめぐって、水俣市は撮影当初から「負のイメージが広がらないように」など議会が注文をつけ、水俣市での先行上映会の後援を拒否するなどの事態が起きた。これに対し、アンドリュー・レヴィタス監督は「何が優先されるのか」「非常に悲しい状況」と、市の対応を批判するコメントを発表した。

こうした対応の背景には、この水俣病の問題が解決されておらず、未だ多くの患者が救済されていない、という現実がある。そのこと事態、恥ずかしながら私は知らなかったし、注目もしてこなかった。1968年に公害病認定を受けて53年もの月日が過ぎたというのに、まだ国も会社も問題を放置したまま、解決には至っていない。

日本の問題をなぜ、今、ハリウッドが映画にするのか?

この映画のプロデューサーでもあるジョニー・デップがユージン・スミスに興味を持っていたという事は大きいが、今の世界情勢というのもかなり大きな要因だろう。

このブログでも時々触れるのだが、世界は「小さな声」「虐げられた人々」対、「大きな声」「巨大資本」といった図式になりつつある。気候変動問題や#Me Too、人種差別、LGBTQ、企業による公害問題、原発事故などなど・・・あらゆる深刻な問題にこの対立構造が散見される。

この「MINAMATA」で描かれた隠蔽や、国、企業の態度というのは、3.11の原発事故の時にも痛感した。

2013年に制作された映画「A2-B-C」は、アメリカ人監督イアン・トーマス・アッシュによるドキュメンタリーで、原発事故後、多くの不安を抱えながら福島で生活する人々の暮らしと、子どもたちに実施された甲状腺がん検査の実態を追っていた。

たまたま上映会場で監督と話す機会があり、日本で起きた重大な事故なのに、日本人自身の手で、このようなドキュメンタリーを作れないのはなぜなのか、聞いてみたことがある。それに対して彼は「もし同じ事がアメリカで起きたなら、やはり同じように真実を隠そうとしたり、報道規制がされたりすると思う。それはどこの国も同じだ。だからこそ、外からの目、すなわちジャーナリストたちが真実を伝えなければならないし、その役割はとても大きい」と言っていた。

水俣病訴訟もまた同じ構造であった。国と企業はなるべく真実を報道させず、原告団との損害賠償訴訟をなるべくこじんまりとした形で収めようとしていた。もしユージン・スミスが水俣で写真を撮り、世界的な写真雑誌「LIFE」に掲載しなければ、被害者救済への道はもっと厳しいものになっていたかもしれない。

昨今の日本では、そのようなジャーナリズムを疎む傾向があり、危機感を覚える。海外の紛争地や渡航危険地域に赴いたジャーナリストを批判、中傷するという空気だ。自己責任論を振りかざし、なにか問題が起こっても国が助ける必要はない、と叫ぶ。

しかし、実際、日本がそのような危機的な状況に陥った時、例えば軍事クーデターが起きて、市民が殺害されるような状況になった時、誰が周りに現状を知らせて助けてくれるのだろうか。SNSやメールはインターネット環境があって発信できるが、ミャンマーではその回線が切られ、なかなか情報を発信できないという状況が実際に発生している。

まさか日本ではそんなこと起きるはずないよ、と言われるかもしれないけれど、いつだって想定外の事は起きる。紛争とは無縁の日本で地下鉄にサリンがばら撒かれたり、原発事故が起きたりといった具合に。

ユージン・スミスというジャーナリストの目を通して水俣病問題を描くことは、現代社会が持つ構造的な欠陥を露呈させ、そしてそれが現在も変わっていない、「今」の問題なのだと教えてくれる。そしてそれが世界中で起こっているということも。

この映画のクライマックスは、「入浴する智子と母」の撮影シーンだ。

特に説明する必要などない。たった1枚の写真が、これほど人の心を揺り動かすことができるのだということを痛感する。

水俣市は現在ではすっかり街の様子が変わり、1970年代初頭の名残はほとんど残っていない、ということで、撮影はセルビアとモンテネグロで行われたという。ロケハンすごい・・・。こういう所がハリウッド映画の真骨頂なのだろう。

すっかり書くのを忘れていたけれど、音楽は坂本龍一氏が担当。もはや説明する必要などない、「安定の」といった趣きだ。

文責:矢向由樹子

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