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MOVIE

パッドマン

2018年製作/137分/G/インド

R. Balki監督

―あらすじ―

インド南部在住の社会企業家、アルナーチャラム・ムルガナンダム氏をモデルとした実話。

アルナーチャラム・ムルガナンダム氏本人

インドの貧しい田舎町で新婚生活をスタートした主人公は、ある日妻が月に1度、ベランダで寝起きしていることに気が付く。またベランダの洗濯ロープには自転車の掃除にも使わないようなぼろきれが干されていた。妻がそれを生理用品として使っていることを知った主人公は、なんとしても安価で清潔な生理用品を作ろうと誓うのだが、目の前に立ちはだかったのは、技術的な問題もさることながら、古い慣習と偏見であった。男が女の生理について語るなどもってのほか、頭がおかしくなったと見なされ、妻は実家に連れ戻されてしまう。主人公は絶望の中、それでもやり遂げるべく村を出て、働きながら資金を作り、ついに安価な機械を作ることに成功した。強さとは何か、愛とは何か、男尊女卑の古い観念を打ち破っていく主人公の姿を描く人間ドラマ(歌と踊りあり!)。そして最後に彼が選んだ道とは―

☆☆☆

インドという国は今最も注目されている国だ。

人口約15億、IT最先端技術国であり、毎年GDPはうなぎ上り。カレー大好き日本人にとってはなくてはならないスパイスの香ばしい香りに包まれ、その文化は古代にまで遡る。そしてなんと言っても仏教発祥の地である。

私も長らく憧れ、今でも行ってみたい国ナンバー・ワンである。

しかしながら足踏みしてしまうのは、様々理由がある。一番大きな点は衛生面。ホントに情けない話だが、かの国に行って、お腹を壊さない自信が無いのだ。何度もインドへ行ったことがある友人の話を聞いても、一度はえらい目に合っているらしく、「高熱が続いてなんとか病院に辿り着いたものの、症状を説明するのが大変でね・・・」などという話を聞きながらスパイスの効いたチキンカレーを食す。「でも最近は大分キレイになって、大丈夫だと思うよ」

そうなんだ。それなら大丈夫やんね。

別、私のインド通友にその旨を尋ねてみた。

「うーん」彼女は首を捻る。

「デリーとかのホテルはそうかもしれないけどねぇ。なんとも。」

どっちなんだ。

つべこべ言わずに行ってみるのが良いかもしれない、体調整えて。

もう一つ不安なところは、その治安である。

特に女性蔑視が酷いという印象があって、街をうろうろするのは危険というイメージ。

そのような印象を確信に変えるような凄惨な事件があった。「2012年インド集団強姦事件」である。

この事件は、2012年デリーで医学生の23歳の女性と友人の男性が映画を見終わった午後9時頃、帰宅しようとタクシーを探したが見つからなかった所、少年が近づいてきて、バスがあるから乗らないか、と誘われた。迷ったものの、2人が乗り込むとバスには運転手含め6人の男が乗っていた。バスは扉が閉まっており、ルートを逸れても走り続けた。女性は不安になり、降ろしてほしいと訴えたが、男たちは友人男性を殴り、女性をレイプ。その際鉄のパイプで彼女の腹部を貫通させ、腸まで引きずり出した。二人は道路わきに裸で放り出され、救急車で運ばれたが女性は間もなく亡くなってしまった。

この凄惨な事件は、インド国内で大きな問題となり、これまでレイプ事件などがあってもまともに司法の裁きを受けられなかった女性たちが立ち上がり、デモを行うなど、社会問題となった。

その結果、犯人のうち四人は死刑判決が下された。

しかしその後、BBCの死刑囚たちへのインタビューでは、男たちが少しも反省などしておらず、被害者女性を貶めるような発言を繰り返したため、インド国内では放送されなかった。(Netflixにて『インド凶悪事件』と言う名でドラマ化されている)

このようなレイプ事件の多発、またレイプ事件があっても警察が取り合わず、犯人を逮捕しないというような状況の背景には、「カースト制度」があると言われている。

「カースト制度」というのは、日本人には少し理解しがたい概念だろう。その歴史は古く、三千年あまりに及ぶ。基本概念は、1職業選択の自由が無い、2同じカースト同士でなければ結婚できない、ということにあるようだ。インドで優れたIT従事者が増えた背景にはカースト制度が適用されない新しい分野だから、という話を聞いたことがある。

最下層のカーストの女性はレイプされても仕方がない、もしそんな恐ろしい概念がまかり通っている社会だとしたら、インドに未来は無い。

そんなわけで、政府も国を挙げて意識改革、イメージアップに努めるようになってきた。

そして2018年、製作されたのがこの「パッドマン」であった。

イメージ戦略のために作られたかどうか、そこは定かではない。

しかしながらこの映画を見て、私の中でのインドの「強烈な男尊女卑」のイメージが改善されたことは確かなのである。

またインドの現状では、貧困層の女性はカースト、家、夫、父親からの支配から逃れることができず、常に暴力の危険にさらされている。しかし映画の中では、貧しい農村の女性たちが自らナプキンを作ることによって、それを販売し、経済的に自立していける仕組みを描いている。この「マイクロ・クレジット(小規模融資)」と呼ばれるものは、現在、インド各地で女性対象の開発プログラムの一環として実施されているそうだ。

何千年も続く慣習や人々の価値観はそんなに簡単には覆らないだろうけれど、一人の勇気というか、思いで変えることもできるのだよね。

☆☆

日本ではよくジェンダー・ギャップ指数とか、会社の役員の比率とか、女性の社会進出の割合が先進国の中ではとても低いとされている。一個人としての見解を言うと・・・男女関係なく、生きにくい、というのが実感だろうか。

女性がことさら蔑視されたり、常に暴力の危険にさらされているとは思わない。

もちろん、レイプやストーカー事件は日々起きているし、DV問題は年々増加傾向だ。

https://www.gender.go.jp/policy/no_violence/e-vaw/data/pdf/dv_data.pdf

(内閣府調べ)

しかし実感としては、まだまだ諸外国の女性の性的暴力の被害に比べて少ないと思う。

歴史的に見れば、日本では「家」というのは「長男」が継ぐものであり、次男、三男となると家庭も持てないという不遇な状況であったらしい。その理由は相続するにあたって、兄弟に農地を分割すると耕作地が小さくなってしまい、十分な作物ができなくなって、結果生活が成り立たなくなってしまう、というのが理由の一つにあったようだ。

いつしかそれは「長男」を大事にする、「男」を大事にする、という風潮に繋がっていった。

また「鎌倉仏教」と呼ばれる日本固有の仏教宗派では、「女人禁制」を掲げるところも多く、人々の中に「女性」=「穢れ(けがれ)」という意識を浸透させることになった。

この「穢れ」という意識は、とても根深く人々の意識の中に張り巡らされていて、世界中で共通するもののように思われる。それは明らかに宗教や政が男性中心に執り行われてきたことに原因がある。女性を排除し、支配する構造なのだ。

この構造は無意識に浸透し、根を張っているため、なかなか取り除くのが難しい。

ふとした所にそれは現れる。

スーパーや薬局で生理用品を買うと外から見えないように紙袋に入れる。大相撲の巡業中に倒れた力士の救命措置をした女性が土俵から下りるように注意される。高校生で妊娠すると退学させられる。

これらの事由に対してきちんとした根拠のある説明をできる人がいるだろうか?科学的で理路整然とした説明を。

インドのカースト制度の根深さもさることながら、女性を支配する「穢れ」思想もまた非常に根深い問題なのだ。

そんなわけで、この「パッドマン」、男性にぜひ見てもらいたい。

映画としてはなかなか突っ込みどころ満載ではあるが(最後の方展開早すぎ!)、自分では意識したことのない、でも確実に存在する構造的差別というものに目を向けて欲しい。そしてこの構造を取り除く事が、日本発展のカギでないかと私は思っている。

文責:矢向由樹子

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