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―追悼―ロバータ・フラック
2025年2月24日、歌手でピアニストのロバータ・フラックが亡くなった。享年88歳。2022年以降筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患われていたとのことで、悲しいニュースとなった。
ロバータ・フラックと言えば、「Killing me softly with his song 」とか、「愛は面影のなかに」などのバラードが有名で、またコーヒーのCMに楽曲が使われるなど、なんとなく御存じの方も多いのではないかと思う。もちろん私もその口で、きちんと聴いたのは随分後になってからのことだ。
彼女の音楽を聴いて最初に思ったのは、「なんて綺麗な発音で歌う人なのだろう」というものだった。なめらかで、上品で、それでいてソウルフルで・・・バラードを歌う時も、激しく歌い上げる時も、美しさを失わない。後に彼女がクラシックを学んでいたという事を知って、なるほど、と合点がいったのであった。かつてそういう感想を持ったシンガーがもう一人いた。カレン・カーペンターである。彼女もまた100年に一人と言われるアルトで美しい歌い方をする人だった。70年代、この二人が共に活躍したというのだから、すごい時代である。

☆☆☆
ロバータ・フラックは1937年にノースカロライナの音楽好きな両親の元で生まれ、4歳からピアノを弾き、15歳で奨学金を得てワシントンD.Cのハワード大学に入学するという神童だった。そこでクラシック音楽と声楽を学び、19歳で大学院に入学。ところが父の死をきっかけに学業を断念し、ワシントンで音楽教師をすることになった。28歳の頃教師を辞め、ピアノの弾き語りを始めた。30歳の時にはワシントンのヘンリー・ジャフェの経営するクラブに出演するようになっていた。
子どもの頃からピアノの才能が認められ、キャリアとしてはもうベテランの域に達していたロバータ。にもかかわらず、NYでもLAでもないワシントンの片隅でピアノを弾いている自分に焦りのようなものは無かったのだろうか。ハワード大学と言えば、黒人のハーバードと言われる名門校。そこを出て活躍する同級生(と言っても彼女は15歳で入学するのだが)を尻目に、自分も世に出たいという思いがあったに違いない。
しかしその日はそう遠からずやってきた。
1968年の夏、ロバータ31歳の時、ワシントンにジャズ・ピアニストのレス・マッキャンがやってきた。実はその前年にも訪れていた彼は、すでにロバータの歌とピアノを聴いていたという。そして翌年、自身の公演の数日前にロバータの歌を聴くためにワシントンに前乗りしたのだった。
ロバータはいつも通り、しらふでピアノ椅子に腰かけると、目を瞑り、静かに歌い始めた。マヘリア・ジャクソンの「Load Don’t Move the Mountain」だった。
レス・マッキャンは言葉を失い、寸でのところで手に持っていたグラスを落とすところだった。
それを見た友人が笑いながら言った。
「な、彼女やるだろ?」
レスはそれには答えず、ただただ恐ろしいものをみたように目を見張っているだけだった。
彼女がステージを後にすると、レス・マッキャンはすぐに彼女を追いかけ、アトランティック・レコードとの専属契約を申し出た。
スター誕生の瞬間だった。
半分私の妄想を交えて描いたものの、大筋はこんな感じだ。
レス・マッキャンはケンタッキー出身のジャズミュージシャンで、渋い歌声とピアノが持ち味だった。1963年にパシフィック・レコードから「plays the shampoo at the village gate」というめちゃくちゃカッコいいアルバムが出ている。

そうして生まれたのがロバータ・フラックのファーストアルバム、「First Take」だった。
このアルバムにはダニー・ハサウェイも参加し、これ以降、彼女と何度もタックを組み、ヒット曲を生み出している。
ジャジーでノリの良い「Compared to What」に始まり、A面のラスト、「I Told Jesus」は圧巻で、古いゴスペルをロバータがアレンジし、ひたひたと忍び寄るようなロン・カーターのベースがスリリングで、クレシェンドで盛り上がる彼女の静かな情熱込めた歌声が胸に迫る名曲だ。私は常々、バラードが得意な人は、シャウトもできると勝手に信じているのだけれど、まさに、ロバータ・フラックもそのたぐいの人だ。
しかし、彼女を有名にしたのはB面の「The First Time Ever I Saw Your Face」(愛は面影の中に)で、これはクリント・イーストウッドの初監督作「恐怖のメロディ」で使われたことによる。それにしても、この頃からクリント・イーストウッドという人はジャズオタクだったのだなぁ、と思ってしまう。
このアルバムの良い部分をあげるとキリがないけれど、よく処女作を超える小説はなかなか書けないというように、私にとってロバータ・フラックの最高傑作は処女作「First Take」であり、ついにこれを超える作品は無かったと思っている(勝手に)。
晩年、貧しい子どもたちのために音楽学校を作ったり、人権運動にも熱心だったロバータ・フラック。最期は家族に見守られて天国に召されたとのこと。
その美しい歌声はこれからも生き続けるだろう。
文責:kikiko
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