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MOVIE

彼女は夢で踊る

2019年製作/95分/PG12/日本

時川英之

ストーリー

舞台は広島に実在する老舗ストリップ劇場。世の流れからお客は激減し、閉館を迫られることに。社長の木下は過去の華やかな時代に思いを馳せ、忘れてしまっていた遠き日の恋を思い出すのだった。そして、最後の舞台の幕が上がる。観客たちはステージの裸の向こうに終わりゆく何かを見つめていた。終演後、木下は一人観客席に座り、かつて愛した踊り子の幻を見る・・・。

☆☆☆

昔、酔った勢いで新開地の成人映画館に行こうという話になった。

誰もいないだろうと思っていたが、意外と人が多く、ロビーもこじんまりとして不潔な感じではなかった。

場内はばらけて人々が座っていて、当然だが男性ばかりであった。

我々は意外と人が多いことに驚きながら、前の方の席を陣取って、昭和ロマンポルノらしい映画の始まりにワクワクしながらチューハイをあおっていたのであるが、そんなピクニック気分は一瞬で消え去ることになった。

なぜなら前に座っていたおっちゃんが、映画ではなく我々を見始めたからである。友人はシートを蹴ったり(通常ではこのような行為をしてはいけない)睨みつけたりしていたのであるが、無駄であった。恐ろしくなった私は「早く出よう」と友達の手を引っ張って映画館を後にした。

なんとも言えない後味の悪い、嫌な気持ちになった。新開地の通りを歩くおっちゃん全てが汚らしく見えた。我々は無言で駅に向かい、三宮で熱いコーヒーを飲んで帰った。

まぁ、これは、くだらない好奇心の結果ではあったものの、その時感じた恐怖というのは忘れがたく、普段いかに自分が暴力とは無縁の世界で生きていたかを思い知らされる一件であった。

そう、視線というのは暴力である。特にそれが性的な意味合いを帯びているのであれば。

この映画で扱われているのはストリップ劇場。ストリップを見たことはないけれど、それは様々なお客さんがいるだろうと想像する。最近は女性のお客さんも多いということであるが、女性の裸を見る事が目的であることに変わりはない。その視線に応えて踊る踊り子さんたちの意志たるやどれほどのものなのか。

芸術性を追求するのであれば、別に脱がなくて良い。昔ならいざ知らず、今では稼ぎの良い商売でもない。喜んでくれる人がいるから、だけで乗り越えられるのか。視線の暴力にさらされてもなお踊り続けるのはまるで苦行ではないか・・・。

そう、何かストリップには苦行を思わせるものがある。

日々のダンスレッスン。繁華街の生活。日常の暴力。彼女たちの多くは日陰にいる理由があり、その理由も様々。恵まれた環境でぬくぬくと暮らしてきたわけではない。彼女たちは多くの業(ごう)を背負って、その業から逃れるために、ひたむきに生きている。

「私は踊りが好きで、ただ踊っているだけなのに・・・・・上手く生きられない・・・」

主人公サラは言う。

朝日を浴びながら、一枚一枚服を脱ぎ捨てていくシーンはとても美しい。

冒頭、サラがシンタロウと出会うシーンでは、レディオヘッドの「Creep」が流れる。それだけ聞くと、なにをベタな、と思ってしまうが、90年代ピーポーはしっかりと心鷲掴みされてしまう。そのうえ閉館するストリップ劇場で昔の恋人を思い出す、なんていうのも「ニュー・シネマ・パラダイス」みたいだと思ってしまうんだけど、これも心鷲掴みである。なんのかんの、悔しいくらい心鷲掴みされる映画であった。

この舞台となった広島第一劇場は結局2度の閉館騒動の末、まだ存続しているそうである。(映画本編では閉館とされている)日本各地に細々と残っているストリップ劇場も残りわずか。多くの踊り子さんたちが業から解き放たれて、自分自身の人生を生きていることを望み、またアートとしてストリップの文化が残っていけたらなぁ、と思わせられたのだった。

文責:Y

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