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BOOK

夜と霧

ーあらすじー

 1939年ナチス・ドイツによるポーランド侵攻に対しフランス・イギリスが宣戦布告して第二次世界大戦が始まると、それまでドイツ国内で行われていた反体制、社会主義者の逮捕、強制収容所送りのみならず、ユダヤ人の一斉逮捕、強制収容所での強制労働が組織的に行われるようになった。

 著者ヴィクトル・E・フランクルはウィーンで精神医学者として妻と二人の子どもと、なに不自由なく暮らしていた。しかし1938年のドイツによるウィーン併合により、彼とその家族、両親までもがただユダヤ人というだけで収容所へ送られることとなった。そして、妻と子どもはガス室へ送られるか餓死し、彼一人が生き延びることになった。

 本書は三分の一を占める解説部分と、フランクルによる手記という二部構成で成り立ち、参考資料として多数の証拠写真、ガス室の設計図、イギリス軍がアウシュビッツ強制収容所の累々たる死体処理を行う写真などが掲載され、史実を伝える上でも非常に重要な書籍となっている。

☆☆☆

 私が15歳の息子にまず初めに読むように勧めた本は、ヴィクトル・E・フランクルの「夜と霧」だった。

 アウシュビッツ、もしくはそれ以外の小さな収容所で起きた凄惨な、非人間的な行為、虐殺の記述は、すでに多くの文献、多くのインターネット上の写真や記事で読むことができる。しかし、その極限の状況で、人がどのように人であることを選択することができるかについて書かれたものは、この作品以外にないだろう。

 今、このような極限の状況が、我々の眼の前に存在するわけではない。しかし、それはとても薄められた塩水のように、私たちの周りを取り巻いている。

 強制収容所では、囚人に番号が与えられ、その番号は腕に彫られる。そしてそれが囚人にとっての全てとなった。誰もその番号以外に彼(もしくは彼女)の歴史にも運命にも名前にも興味がなかった。

 翻って我々はどうだろう?マイナンバーが与えられ、いずれはその番号によって、全ての銀行預金、病歴、渡航歴、購入した書物、誰とどこに行ったかが管理されるという。その代わり、それが身分証明となり、住民票や、交付金の申請が速やかに行われるという。この「番号が全ての社会」は、本当に強制収容所のそれと違うのだろうか?

 強制収容所の中では、しばしば囚人の中でも特別扱い的な囚人が選ばれ、同じ囚人を殴ったり、サディスティックに虐待する「カポー」と呼ばれる人たちがいた。彼らも終戦後軍事裁判にかけられることになったが、今なお逃げおおせている人もいる。

 学校や社会において、しばしば立場は同じなのにまるで特権を得ているかのように、人を見下し、精神的な暴力を与えたり、弱い人を痛めつけるような光景を目の当たりにすることがある。人種差別的な発言を繰り返し、「殺せ」と声高に叫ぶ人たち。しかし、その人たちの生活や、生まれや、職業などを見ても、決して恵まれた人々ではない。むしろ踏みつけられ、奪われる側の人間なのである。

 かように、我々の生きている社会は、決して強制収容所の極限の状態ではないが、より緩やかな形にしたものとすら捉えることができる。

 この中で人間性を失っていくか、それとも保つことができるのか、この本にはその答えが書かれている。

文責:Y



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