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ー托鉢ー

 お坊さんが修行のために鉢を持って街へ出て、お布施や喜捨を受け取る行為を托鉢といいます。 不思議なことに、あなたがお坊さんにお布施のための金銭をあげても、それを受け取ったお坊さんはあなたにお礼を言いません。 むしろこの場合、金銭をあげたあなたが、受け取ってくれたお坊さんに感謝のお礼をすることになります。 なぜお金をあげた方がもらった人に感謝をしなければならないのか、と疑問に思うかもしれません。全く礼儀がなっとらん、と逆に説教したくなるかもしれません。 しかしこれは募金活動とは違います。金銭や物への執着を断つ修行なのです。 なので布施をする人は、お坊さんに施しをすることによって徳を積めるので、私はお坊さんのおかげで善いことをさせていただくことができました、という意味で感謝をするのです。 決して、せっかくお布施をしたのにお礼も言わない、などと思わないようにしましょう。

ーチェンマイー

 2012年の夏、僕はタイのチェンマイにいた。正確には5月の終わりですが、タイは一年中夏みたいなものなので、夏、でいいでしょう。何より響きがしっくりきたので、どうしてもそう書きたかったのです。 2012年、夏。チェンマイ。 ね。

 その時僕は一ヶ月ほど東南アジアを行き先も目的もなく、一人でプラプラしていました。 自分探しとかバックパッカーと言えば聞こえはいいかもしれませんが、単に暇だっただけです。

 そんな夏のある日、バンコクからチェンマイに向かうバスの中で、日本人数名と知り合いました。 海外まで来て日本人ばかりとつるむのも何だかなあと、割と日本人を避けて来たところもあったのですが、無理に距離を置くのもなんか変な話で、話の流れでチェンマイについてから同じ宿に泊まりました。 数日後、結局僕は違う宿に引っ越したのですが、前の宿にiphoneの充電ケーブルかなんかを忘れて、取りに帰るとその日本人の一人とバッタリ。雨も降っていて、別にその日の予定もなかったのでそこからずーっとその人と喋ってました。 その人はやたらと仏教に詳しくて、延々と釈迦の話やお経の話なんかを教えてくれて、普段そんな事を聴く機会がない僕は面白くて、場所を変えながら、飯を食いながら、夜中までずーっとそのことについて喋っていました。

そんな夏の、雨上がりの夜。彼と別れて、一人宿に帰る途中に、それは起こったのです。

ーバックパックを背負った僧侶ー

 宿へ帰る暗い夜道、遠くの方から飄々とした足取りでこちらに向かって歩いてくるのは、こっちでは定番のオレンジ色の袈裟を着たタイの僧侶。こんな夜更けにお坊さんが何をしているのだろう。しかもよく見たらでっかいバックパックを背負って歩いてくる。 彼はバックパックを背負った一風変わったお坊さんなのか、はたまたバックパッカーがただ単に僧侶の服を来て歩いているだけなのか、パッと見ちょっと判断はつかない。

 彼はどんどんこちらに近づくと、お坊さんとは思えぬフレンドリーさで、何やら僕に話しかけて来た。その言葉は片言ではあったが、確かに日本語だった。しかもそのつたない日本語と英語で「上戸彩って知ってるか?」彼女がどうのこうのとか僕に言ってくる。いきなりのジャブで完全に面食らった僕が適当に相槌を打っていると、本題を切り出すように彼は 「5バーツか10バーツ貸してくれないか?俺はバンコクに仕事で行くんだ。」 と、予想を遥かに上回るパンチを繰り出してきた。 今から??チェンマイから10バーツでバンコク行くってこと??? 10バーツといったら日本円にして30円くらい。いくら物価が安いからといって30円でバンコクに行けるわけがない。しかも時刻は真夜中。電車もバスもあるわけないし、それに僧侶が仕事っていうのも少し引っかかる。もっと言うなら返す気もないくせに貸してくれという言い方も気にくわない。 念のため何に10バーツ使うのかと聞いてみると、 「スタンバイするために必要だ」 と返された。 これは何かの比喩か。いわゆる禅問答というやつなのか。

 凡人ならここらで思考回路の一つや二つを失って、ちょっとしたパニックに陥るかもしれないが、こちとら先ほどの長時間の仏教講義を経て、精神のレベルがアップしている。 ちょっと冷静になって、少し悟りに近づいたこの頭で、今の状況を整理してみよう。

 僕は今初めて来たタイのチェンマイの路上で、真夜中にバックパックを背負った上戸彩好きのタイ人の僧侶に、仕事でバンコクへ行くので5バーツか10バーツ貸してくれ、と日本語でお願いされている。

 やはりまだまだ修行が足りないのか、冷静に考えれば考えるほど、思考が輪廻転生していくばかり。 そもそも本当のお坊さんが大きな荷物を背負って夜中に出歩くなんてことがあるのだろうか?托鉢なら小さなお椀と相場が決まっている。出家するにあたっていらない持ち物は全て捨て、必要最低限のもので生活するのが僧侶本来の姿。一国の王子であった釈迦は国や妻子までも捨てたというのに、出家者にバックパックなんてどうも似つかわしくない。 やっぱりこいつは僧侶のフリをしたバックパッカー、あるいはただの乞食なのだ。こんな風に何かと理由をつけて出会った人から金をせびって生きているのだろう。 金が欲しいだけならバンコクへ行くとか言う嘘はつかなくてもいいのに。ましてや僧侶のフリをするなんてけしからん。 「おい乞食、そのバックパックの中のお前の煩悩見せてみろや!」 と言いかけたのを、悟りに近づいたもう一人の自分がなだめた。

 俺菩薩A『あなたはたかだか5バーツや10バーツを騙し取られることに怒っているのですか?』

 俺菩薩B『あなたは素直に金が欲しいと言えばくれてやるよ。とすがりつく彼に上から目線で10バーツ札を投げつけたいのですか?』

 俺修行僧「いいえ、ちがいます。それは悟りの道を歩む者のする行為ではありません。」

 第一、彼が本物のお坊さんという線もまだ捨てきれてはいない。本人の意思とは裏腹に、何か深いわけがあってバックパックを背負わないといけない羽目になっただけかもしれない。 あるいは高尚な僧が僕を試そうとしているのかもしれない。かの有名な一休さんも実際はかなり破天荒な振る舞いをする人だったと聞いたことがある。 無下にこの人をあしらえば、バチが当たるかもしれない。 10バーツをケチって解脱の道を踏み外し、畜生道へ転がり落ちるなんてなんともバカげた話だ。 僕も悟りの道を歩んでいこう。 と思ったかどうかは全く覚えていないが、とにかく僕は煮え切らない気持ちを抱えたまんま、そのお坊さんに10バーツを渡したのだった。 お坊さんはそれを受け取ると、スッと僕に手を差し述べてきた。それを見た僕は反射的にその手と握手した。

 まさにその瞬間、それは起こった。

 真っ暗な真夜中の路上で突然、ピカッとあたりが一瞬真っ白い閃光に包まれて、自分の後頭部のあたりからお坊さんに向かって「Thank you」と誰かの声がした。 振り返って確認する必要もないくらい、それは紛れもなく僕の声だった。僕は自分の意思とは関係なく、唇一つ動かすことなく、彼に感謝の意を述べたのだった。

  正直ありがとうなんて気持ちはこれっぽっちもなかったし、もし仮に今の声が向こうに聞こえていたとしたら、すぐに撤回したいと思ったくらいだ。 驚いて僕は握手した手から視線を彼の顔へ向けた。バッチリと彼と眼が合い、彼は満足げに、全てを悟ったような笑みを浮かべた。 僕は何も言えなくなって、その場で固まった。 そして僕は、彼がまた上戸彩がどうのこうのと言いながら、夜の闇の中へ飄々と歩いていく様子を、狐につままれたような気持ちで、ただただそれを見つめていた。

文:橋本健介



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