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脳内喫茶まぼろし
〜最後の晩餐〜
ようこそ、ここは少しはずれたところ。
奥まった薄暗い路地のどこか。
今日も私は貝殻拾い。
表は正体不明の病禍と殺人的な気温。
私は室内で一枚の青い写真を眺めている。
青い壁に、青の窓の桟。
テーブルクロスも青いチェックで、青の制服を着た人々が食事をとる様子。
うつわの音。
人の声。
何処かのかつてはありふれた情景。
十年ほど前の写真なのに、今、あらためて手に取ると、失われた世界にも映る。
最後の晩餐のよう。
最後の晩餐、何を食したい?という問いかけ。
これほど私を困らせるものはない。
いいえ、実をいうと私は微塵も困ってなんかいない。今日はどんな嘘を誂えようかと悩むだけ。
そして毎度毎度、相手によって用心深く、そして適当な答えを拵える。
けっこうな年月を生きてはきたものの、食通でも美食家でもないから質素でありきたりな答えばかりだけれど。
これが最後、と由々しきときに何かを食べたいなんて思えない。
それが私の答え。
いわば世の習いともいえる質問に随分かわいげのないこと。しかし、それが本心。
どれだけ時間をかけて顧みても、これまでに食したもので最も美味しかったものですら思い出せない。
おぼろげに、また時に鮮やかに胸に浮かぶのは、食べものではなく、そのときテーブルを共にした誰かとの会話、表情、流れていた音楽、窓の景色、光。
素晴らしく贅を尽くした珍しい食事を前にしても、時が経てば、きっと私はそんなことを覚えていない。そのかわりにテーブルの色や絨毯の模様がしっかりと刻まれる。
それはとても惨めで嘆かわしいことかもしれない。でも私にはそんな断片こそ大切で必要なのだから。
さりとて私は晩餐についての他愛もない質問も悪くはないと思っている。誰かの晩餐についての答えを聞くのは興味深い。
そして相手によってころころと答えを替えている私は、問うてくる相手主体のメニュウを考えてみる。
猫が好きなあの人なら…山登りが好きなあの人なら…自称グルメを気取っているけれど、どうにもそうは見えないあの人なら…
いつかレコードが好きなあの人に この質問を訊ねられたなら、こう答えよう。
「オレキエッテ」耳という名のパスタ。
お皿にひしめく幾つもの耳。
踊りたくなるほど楽しい話
涙に溺れる哀しい話
花のような愛のささやきも
きらめく星空の旋律も
いろんな音をやわらかく吸いとって秘密を隠すように丸まっている。
そんな耳たちをゆっくりと味わい残響を噛みしめる。
まるで複雑な重奏を楽しむように。
そう、オレキエッテそのものではなく耳の秘密に心を奪われて。つまりは料理ではなく、やはりおぼろげな欠片を拾いあげてはポケットにしのばせる。
忘れっぽい私は晩餐を終えて席をたつときには、そのことさえ覚えていないかもしれないけれど。
文:さらりこ