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熱狂と空虚さとマクダ・ゲッベルス - grunge house records

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熱狂と空虚さとマクダ・ゲッベルス

 1945年5月1日。ベルリン。

 総統府地下壕では激化する砲撃の音とせわしなく動き回る将校やパイロット、料理係、家庭教師、様々な人でごった返していた。辺りは弾薬の匂いと汚物の臭いでむっとするような臭気だった。

 そんなカオスの中、一人の貴婦人が、優雅なサマー・ドレスに身を包み、豊かなウェーブの金髪にどこから手に入れたのか、生花をあしらった髪飾りをつけて、ゆったりと歩いていた。後ろには白いドレスを着た子女6人、すなわちヘルガ、ホルデ、ヒルデ、ハイデ、ヘッダ、ヘルムートが、秩序よろしく並んでついて歩いていた。

 彼らは総統付の部屋に入ると、小さな可愛らしい陶器の器に入ったシロップを貴婦人から手渡され、神への祈りを捧げた後飲み干し、石炭貯蔵所へと避難した。

 子どもたちはすぐに眠りについた。シロップは睡眠薬だった。頃合いを見計らって、医師らしき人物がやって来て子どもたちに注射をすると、6人の子どもたちは眠ったまま息を引き取った。

 貴婦人はひとしきり泣き、子どもたちの頬にキスをし、部屋を後にした。

 貴婦人の名はマクダ・ゲッベルス。第三帝国のファースト・レディーと呼ばれた女性だった。夫はナチスの宣伝担当として名を馳せたヨーゼフ・ゲッベルス博士。この二人は、ナチスの誕生と共に出会い、そしてナチスの消滅と共に終わろうとしていた。

 前日の1945年4月30日。ヒトラーはエヴァ・ブラウンと結婚式を挙げ、その後自殺していた。

 もはや、マクダとゲッベルス博士をつなぐものは何もなかった。ヒトラーのために生き、ヒトラーのために結ばれた二人は、ただ自ら舞台の幕を引く以外に方法はなかったのである。

 ☆☆☆

 マクダは1901年11月11日、二十歳のメイドだったアウグステ・ベーレントと資産家のオスカー・リッチェル氏との間で生まれた。後に二人は離婚し、アウグステは裕福なユダヤ人皮革業者のフリートレンダー氏と再婚した。

 マクダはこの実父と継父両方から可愛がられて育ち、2人の父親は競い合ってマクダに愛情を示した。

 1919年、マクダはゴスラーにある女子寄宿学校に入り、帰省途中に38歳のギュンター・クヴァントという実業家と出会い、安易に婚約し結婚してしまう。彼は億万長者だったが真面目で、人生のほとんどを仕事に費やしていたため、まだ十代だったマクダはその結婚生活にすっかり退屈するようになってしまった。一人息子ハーラルトをもうけるも、子育てにほとんど関心を示さず、やがて若い男友達と情事を重ねるようになった。中でも、ユダヤ系ロシア人でシオニスト(ユダヤ民族主義)の過激思想を持つハイム・ヴィタリー・アルゾルフとの恋愛は、夫クヴァント氏の知るところとなり、激しい怒りを買って、離婚を突きつけられることとなった。自分に非があるにも関わらず、マクダはクヴァント氏のプライヴェートな秘密を世間に明かすと言って脅し、相当な額の財産が支払われた。

 かくして、若く裕福で自由な身となったマクダはたちまち社交界の人気者になった。

 1930年の夏、マクダ28歳の時、ふとしたきっかけで、彼女はナチスの政治集会に面白半分で参加することとなった。そしてこれが彼女の運命の転換点となる。

 9月の国会総選挙を控え、党集会はナチス支持者及び党員たちで溢れ、異様な活気に満ち溢れていた。

 上流階級の子女が集まる寄宿学校を出て、億万長者と結婚しただけのマクダは、その雰囲気にすっかり度肝を抜かれてしまった。彼女が見たこともない人たち、労働者や農夫、市井の女たちが、熱狂し、拳を振り上げ、何事かを叫んでいた。

 やがて、ひときわ喝采を浴びて、両側にずらりと並んだヒトラー敬礼の中を歩き、黒いレザーシャツに身を包んだ男が演壇に上がった。男はカチャカチャと奇妙な音を鳴らし、びっこを引いて壇上に上がると、おもむろにゲルマン人の優位性について叫び出した。

 この小柄で、黒い髪と黒い陰気な目をした男の演説は、ヒトラーの演説に並んで過激で暴力的だったため、人々はより一層熱狂した。後にマクダがただ一心に愛し、そして憎むこととなるゲッベルス博士だった。

 マクダはその日の帰りにナチ党ベルリン=ヴェストエント東集団の党員に登録した。

 これに激怒したのはもちろんユダヤ人の恋人アルゾルフだった。彼はマクダを説得するために泣き、わめき、拳銃まで発砲する始末だったが、マクダの気持ちは変わらなかった。  

 熱狂の中で生きなければ、人生にいったいなんの意味があるのだろう?

 こうしてマクダは熱狂の渦の中に自ら身を投じ、そして頂点へと昇りつめていった。

 ☆☆☆

 さて、この非常に恵まれた女性の前半生と、ナチスと共に破滅への道を駆け抜けていく女性の後半生を見比べた時、これが本当に同一人物なのだろうか?と疑ってしまう。普通ならば、戦火が激しくなったヨーロッパを早々に離れ、アメリカの社交界で優雅に暮らすこともできた(実際、アメリカ人の富豪から求婚されそれを断っている)にも関わらず、よりによってゲッベルスのような非情な男と結婚し、6人もの子どもをもうけ、ことごとくその子どもたちを殺して自分も自殺するという結末を選ぶとは。

 これに対して様々な憶測、あるいは解答が得られるかもしれない。人は退屈さを嫌うとか、女性の持つ情熱の行き場とか、彼女の激しやすく強い妄想壁が原因であるといった凡庸な回答が。

 もちろんいずれも当てはまっているだろう。彼女は裕福で退屈を嫌い、情熱的で、強い妄想壁があり、野心家だった。

 だが一つ、彼女には芯となるもの、人を人たらしめる「心」が存在しないように私には感じられるのだ。空虚さというべきか。彼女の本当の中身を知ろうとすればするほど、空洞の暗い空間が広がるばかりなのだ。

 ヒトラーや夫のゲッベルスのように強いコンプレックスもない。虐待された記録もない。激しい憎悪もない。

 彼女はただの空洞なのだ。

 もし本当の悪というのが存在するとしたら、私はこの得体のしれない「空洞」を悪と表現するかもしれない。現代の精神医療の用語で言えばサイコパスと呼ばれるのかもしれない。

 ただ、そういった簡単な言葉一つでは表現できない何かが、私には恐ろしく感じる。

 「空虚さ」というのは時代時代で変わるのかもしれない。昔は食べるのもやっとだったけれど、今の時代は精神的に満たされないことに人々は空虚さを感じ、やがてやってくるデジタルな世界においては、人は便利さの代わりにクラウド上に記録されて逃れることのできない過去の存在に、空虚さを感じるのかもしれない。

 いずれにしても、世の中が発展しようが、後退しようが、この「空虚さ」は無くならないのだ。

 その事実に気が付いた時、人は愚かな行動に出てしまうのかもしれない。

 ☆☆☆ 

 マクダの後半生について簡単に述べておく。

 ナチ党に入党した彼女はめきめきと頭角を現し、念願のゲッベルス博士の私設秘書となる。そして1931年にヒトラー立会の元でゲッベルスと結婚。33年に流産し、マクダは生死の境を彷徨うも回復。その年、ナチスは第一党に。1936年ベルリン・オリンピック大会開催。ゲッベルス指導の下、映画「オリンピア」が制作される。同年、ゲッベルスとチェコの女優リダ・バーロヴァとの不倫が発覚。マクダは離婚を申し出るがヒトラーの逆鱗に触れ、ゲッベルスはしばらく中枢から外される。その後ゲッベルスは起死回生をもくろんで1938年ユダヤ人迫害の象徴となった「水晶の夜」を演出。再び中枢に返り咲く。1939年ポーランド侵攻。戦争が始まる。1940年にはノルウェー、デンマーク、ベルギー、オランダ、フランスに侵攻。1941年ドイツは不可侵条約を破ってソヴィエトに侵攻。(同年日本は真珠湾を攻撃)1942年英国の空爆を受け、ドイツ国内が初めて戦場に。1943年スターリングラードでソヴィエト軍に敗退。1944年ノルマンディーに連合国軍が上陸。フランス解放とともにドイツの敗色が濃厚に。1945年ソ連軍によりドイツの首都ベルリンが包囲される。

 ゲッベルスという男は、ユダヤ民族浄化を掲げて何百万というユダヤ人を殺した残虐非道な悪魔のような人間だったが、自分の子どもに対しては愛情深くよく面倒をみて、マクダの連れ子ハーラルトのことも、自分の子どもと分け隔てなく可愛がったという。子どもたちに毒薬を与えるという段階になって耐えることができず、ついに彼は姿を現さなかった。

 1945年5月1日19時30分。ゲッベルスは頭部を撃って自殺し、マクダはシュトゥンプフエッガー博士の青酸カリを飲んで自殺。遺体を焼くように指示されたが、完全には焼ききれず、ソ連軍によって収集された。半分焼け焦げた肉の塊が二体、憐れに転がっていたという。

kikiko

引用元:アンナ・マリア・ジークムント「ナチスの女たち」、澁澤龍彦 「世界悪女物語」

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