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The paradox of sound making - grunge house records

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What is our struggle?

The paradox of sound making

 自分で企画して、音響設備の無い所で音楽イベントなどをする場合、ものすごく困る。何が困るかというと、機材を持ち込まねばならないのもさることながら、音が思うように出てくれないからだ。たとえ、PAがある場所であったとしても、専門的に扱う人がいなければ同じことで、そんな場所でプロのミュージシャンとか、DJさんがやろうものなら、ものすごく怒られる羽目になるし、自分にはどうしようもないし、もう最悪である。

 従って、サウンドエンジニアさんがいると本当に全てこれで解決、円満、万々歳、ということになるわけだが、そんなことに気付くためには主催者側にいないと気付かないわけで、パーティのお客には分からない。

 かくいう私も「どんなことしてる人なのだろう?」くらいにしか考えていなかったわけだが、事あるごとに出てくる「PA」「サウンドエンジニア」「レコーディングエンジニア」という名称にだんだん深い興味を抱いてきた。

 レコーディングエンジニア(サウンドエンジニアともいう)という世界はなんとなく分かるような気がするけれども、録音、ミキシング、マスタリングという工程でどんなことがなされているのかは正直分からない。ただ、この工程でなんらかのエッセンスを注入していることは確かで、エンジニアによってその楽曲が全く違うものになるというのも、有名な曲のマスタリング違いとか、近年再発されて聴いたりするとよく分かるのである。

 言わば職人である。

 今日明日「サウンドエンジニアになろう♪」と思っても無理だし、専門学校とか、芸大のなんとか学科を出てもすぐになれるわけではないと思う。現場での経験を重ねなければ1人前にはなれないのだ。たぶん。

 というわけで、このサウンドメイキングの世界にあって、非常に重要な役割を果たすエンジニアについて、大阪を拠点に世界的に活躍されているkabamix氏にインタビューを通して聞いていきたいと思う。

―サウンドエンジニアのお仕事を始められたきっかけを教えてください。

Kabamix:(以下K)中学生の頃、オーディオに興味を持ち始め、雑誌などを見てサウンドエンジニアという職業を知りました。

 サウンドエンジニアになるには音楽の事を知らなくてはと思い、当時MYヒーローだったYMOのコピーバンドをするためにシンセサイザーを購入しました。ツマミがいっぱいあってミキシングコンソールにも似ていましたし(笑)。

 高校を卒業し、大学受験にも失敗して、ライヴハウスの知り合いを訪ねて毎日リハーサルを見学するために通いました。

 ライヴハウスに通ううちに地元スタジオのオーナーと知り合って就職するまで漕ぎ着けました。そのスタジオには小さいながらも、8トラックオープンリールのレコーディングシステムがあり、基本的なことを覚えることができました。

―そこから独立されるまでどのような修行をされたのでしょうか?

K:修行・・・とは認識していなかったのですが、毎日本当に忙しくて、、、本来ならみんな大学に行って遊んでいるというのに、毎日毎日仕事で、ほとんど遊ぶ暇なんてなかったですね。

―独立されるきっかけのようなものはあったのですか?

K:25歳の時にDave Goodmanを紹介されて、少しの間彼の家に居候する機会があったんです。Dave GoodmanというのはSEX PISTOLSのプロデュース、エンジニアをやっていた人で、パンク・ムーヴメントの中心にいた人です。彼の家はロンドンにあって、自宅の地下をスタジオにしていました。彼のスタジオは一通り機材は揃っていたのですが、高価なものはほとんど無くて、唯一、ADAT、あのVHSみたいな機材が高価だったくらい。それでも、できあがった音楽は最高にカッコ良くて、「ああ、やっぱり機材じゃないんだな」、と思ったのを覚えています。

 その頃の彼はもうパンクの世界ではなくて、ニューエイジに移行していました。Mandala Recordsというレーベルをやっていましたね。

―Dave Goodmanの家で過ごすなんてそうそう経験できることではないと思うのですが、影響はありましたか?

K:もちろんすごく影響を受けました。ただ彼の作業を見ていただけでしたが、スタジオの雰囲気とか、アーティストとのかかわり方とか・・・

―今でもDave Goodmanさんと交流はあるのでしょうか?

K:彼はその後ロンドンの家を売ってマルタ島に彼女と一緒に引っ越してしまい、そこで活動していたようですが、2005年に心臓発作で亡くなってしまいました。残念なことに。

―帰国後独立されたのですか?

K:翌年再びイギリスを訪れました。今度はグラストンベリー(イングランドの大規模野外フェス)に行くために。そこで、また衝撃を受けました。フェスの全てをそこで体感したというか、「毎年自分がここに、この場所にいれるなら、どうなってもいい」そう思えるくらい強烈な印象を僕に与え、帰ってきてすぐ会社に辞表を出してしまいました。

 今から考えると無謀だとは思うのですが、、、

 翌年岡野さん(風の楽団:岡野弘幹氏)のツアー、それからOKIさん(OKI DUB AINU BAND)のアメリカツアーに同行するなど、幸いチャンスに恵まれました。26歳で独立して、様々な刺激を受けながら、少しずつ自信を持ち始めた時期だったと思います。

―そこに阪神淡路大震災があり、細野晴臣氏との出会いがあったわけですね。

 そうですね。28歳の時です。

インタビュー続く  

 今回は、サウンドエンジニアのお仕事するきっかけから、独立されるまでのお話を伺いました。次回はさらにKabamix氏の転換点となる細野晴臣氏との出会いについて伺って行きたいと思います!

     文:Y



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